小学四年か五年のとき、”ごみクラブ”というものを立ち上げた。昼休みに校庭のゴミを拾う活動のことで、学校の作ったクラブ活動とは違う、完全な有志の集まりだった。

きっかけは、授業で忘れ物か何かをした4人が、罰としてゴミ拾いをさせられたことだった。たまたまそれが仲の良い4人だったので、おしゃべりしながら楽しくゴミ拾いをして、なんか良いことして気持ちいみたいなことも加わって、「なんか楽しかったけん、毎週しようや」(もはや方言があやしい)となったのだ。その言い出しっぺが多分私だったので、なんとなくリーダー的な立ち位置におさまった。それから毎週水曜日(たぶん)、4人は昼休みに遊びにも行かずに集まり、先生やクラスメイトに言うでもなく、ゴミ拾いに出かけた。(今思えばゴミ袋なんかはどうしていたのだろう)

汚い”ごみ”と楽しい”クラブ”。そして罰というか先生にバツをつけられたメンバーが自主的に慈善活動をしているという倒錯的な部分にも、面白さを感じていたように思う。拾うべきゴミはどんどん無くなっていったが、その独特の楽しさにはまってしまい、1学期の間まるまる、この活動は続いた。そしていつの間にか、この活動の存在は学年中に知れ渡るところとなっていた。

二学期になってしばらくしたとき、学級会で担任がごみクラブを褒め称えた。そこからは早かった。クラス中の人が先生からの称賛をもとめてごみクラブへの加入を希望してきた。最初は私も先生やクラスメイトに認められたことが嬉しく、加入を受け入れた。しかし同時に嫌な予感もした。たった4人だったごみクラブは20人を超える巨大チームになった。意味もなく連絡網を作った。

同時に、予感は的中し、わたしの気持ちは急速に冷めていった。つまんなくなった。場の力学が全く変わってしまった。私たち4人は、先生からもらったバツを、自分たちの密やかな楽しみの中で勝手にマルに書き換えていた。誰にも言われず、自分たちでやっているからこそ、楽しかったのだ。それがいまや、先生という権威からみんながマルをもらうための代理機関になってしまった。ほんとうにつまんなかった。

だいたい、20人で毎週拾うほどのゴミは校庭になかった。そのうち、内部分裂も起きた。最初の4人のうちの1人Kは、何回かに一回の活動を自分の好きな虫捕りの活動に変えて”虫クラブ”にしたい、と言い出した。当時からしてもそれは意味不明で、今からしても巨大な組織力を私的な目的のために簒奪するような行為であったが、拾うゴミもないので、了承せざるを得なかった。

活動終了を宣言したのか、自然消滅だったのかも記憶にないが、そうやってはやくも二学期のうちに”ごみクラブ”は活動終了してしまった。

密やかな楽しみを白日の元に曝け出してしまった担任や、人のクラブ活動を自分の評価のために食い潰した”コスい(ずるい、みたいな意味の方言)”クラスメイトたちは、この解散をどう思ったのだろうか。少なくとも、今はなんとも思っていないだろう。

最初の4人のうちMは転校し、翌年には親友だと思っていたTも転校した。Kはいつの間にかいじめられるようになっていた。

今でもときどき、あの時どうすればわたしはゴミクラブを守れたのだろうか、と思う。

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